時間を多面的に見ると



 


 

線時間 ・  円時間 ・ 球時間          

 

フィジカルタイム ・  ソウルタイム ・ スピリットタイム 

 

NEW!

時間についての他の考え方

 

 



 

(1)線時間


この時間は私たちの日常生活で感じる普通の時間です。

時計を使って計測される数値としての時間です。

あまりにも普通なので、疑問を持つことさえないような平凡な感覚に基づく時間です。

現代では時計だけでなく、テレビが積極的に時間を人々に知らせますから、
それを無視することはできません。

線時間は、過去から現在を通って、未来へと飛び去っていきます。

過去は膨大な歴史の蓄積として、未来は希望と不安の計画として、現在はそれが何であれ実行中の行動として、
きわめて明確に客観的な分類が可能です。

線時間を体験している人は、列車に乗って移動中のように感じます。

過去から未来へスムーズに進入していくわけです。

一秒一秒がタイムマシーンに乗っているかのようでもあります。

今という瞬間はビュンビュンと飛んでいきます。

僕の前に道はない。僕のうしろに道はできる、と歌った詩人もいたっけ。まあ、そんなもんです。

ジェットコースターに乗っているように感じられる人もいるでしょう。

線時間は人間の意識の中にそういう線のようなものが感じられるのであって、実在するかどうかはわかりません。

この時間の利点は、時計という客観的な物差しで製造されるので、人々はそれを共有することができるということです。

だから学校で子供たちに躾として学習させたいことは、この線時間の意識なのです。

集団生活、社会生活が首尾よく運営されるためには、人々みんなに共通の時間意識がなければなりませんからね。

この時間の困った点は、「現在」が非常にあわただしく飛び去っていくばかりで、
本当に忙しくなること、全く休む暇もないことでしょうか?

こういう時間は社会的な価値が強調されすぎていて、個人的な時間の味わいが乏しいのです。

労働時間の計算をすることができるのも、線時間は時計で正確に計測できるからですね。

だから時間は貨幣に換算できることになり、私たちは計画的に毎日時間を売ってその代価として貨幣をもらうわけです。

線時間だけしかない人生は、なんだか満足しきれないものがあります。

そこで私たちは線時間だけでない、もっと自然な人間的な時間を発見したくなります。

 

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(2)円時間


円時間とはどんな時間でしょうか?

イメージで大きな円を自分の周囲に描いてください。

大地の上に、木の枝であれこれといろんな線を描いた子供の頃を思い出してください。

円の中に座って正面をじっと見ます。

真正面が「今」という時です。

面白いのは、どこを向いても正面が「今」だということです。

正面の左右の広がりの部分が過去と未来です。

時間の流れを円の右回りと感じるか、左回りと感じるかはその人次第です。

ここで大切なのは、意識をどこにフォーカスするかです。

「今」なのか、「過去」なのか、「未来」なのか?

意識はそれらのどれにもフォーカスできますが、真正面はいつも「今」です。

どこを向いてもいつも「今」

「今」以外は脳の中にあります。

現実は「今」あるのみ。

この円時間では、時間は流れません。飛んで行きません。

いつも静かに輝いています。

何か好きなことに没頭している時、時間が止まっているかのように感じるものです。

瞑想していて、50分が5分ほどに感じられたことはありませんか?

一連の集中を要する仕事に打ち込んでいた時などは、
それがどんなに多忙であっても、
ああ、もうこんな時間だ!と感じるのではありませんか?

悲しいこと、つらいこと、苦しいことを通り抜けなければならない時など、
無我夢中で過ごしているうちに、
時間の感覚が、普通の生活のテンポとは違ってしまったことがあるでしょう。

数学の問題が解けそうでいて、解けない時、
何がなんだかわからないうちに、夜が明けてしまったことは?

幸せな、楽しいうれしい一時も、時間の感覚がちがって感じられます。

きわめて主観的な時間の味わいがあります。

ここにこそ人生の宝石のような輝きがあります。

これなくして何の人生でしょう!

円時間は、幸せタイムの秘密です。

 

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●補足●

メビウス時間

なお円時間の変形として、「メビウス時間」があります。
これはクライオン(KRYON)のチャネリング情報(BOOK9:p.261)に基づいています。


私たちがランニング・マシーンを用いて、
歩くエクササイズをしている状態をイメージしてください。

歩いても、歩いても、歩く人の場所は変わらず、
その代わりに、足の下のベルトが動き続けます。

今、ベルトの代わりに、リボン、
しかも一回だけねじれた姿のリボンの上を歩くことにしましょう。
その場合、歩き続けていると、そのうち自然に、リボンの裏側を歩いていることになり、
連続して歩くと、足の下には、かならず過去に歩いた部分が含まれるようになります。

このリボンの体験はあくまで比喩的表現です。
とはいえ、なにかしら心に響くものがあります。

現在の時間の体験は、過去の体験を含んでいる。

しかも何回も何回も繰り返された過去のさまざまな体験が重層的に含まれている。

「今」の中に、無限回の「過去」が包含されている。

これは深遠で神秘的な時間体験です。

これは単純な円環的繰り返し以上の体験です。

メビウス的円環では、現在と過去は交互に交代しながら、
重層的に蓄積されて融合し、
たった一つの「今」において体験されるのです。

これは単なる比喩でしょうか?

なにかしら、心の奥深いところから、
《そういうことになっているようだ》という直観が響きわたるのではありませんか?

そこで、きわめて重要なことがあります。、
「今」の瞬間に、なにか変化を起こせば、
自動的に、自然に、不可避的に、
「過去」もまた変化の影響を受けることになるでしょう。

現在の行動が、過去の行動の結果を変えるのです。

これほどワクワクするような世界観はないでしょう。

時間の神秘は限りなく深くどれほど探求しても飽きることはありません。

(c)20050124 by  Wakmak
 



(3)球時間


イメージして下さい。

透明な泡(あぶく)の中で、まわりの半透明な膜を通じて、

光がやさしく全身を包んでくれる。

真正面に「今」があります。
 

360度の全周囲の、どちらを向いても、向いた真正面が「今」です。
 

東西南北、上下、左右、ななめ前も後ろも、すべての方角を向いて、真正面が「今」なのです。


次の「今」にあなたが選択するものが最重要です!

もしAという次の「今」をチョイスすれば、あなたはAというタイムラインを選んだのです。

そのタイムラインAとは、
今もAであり、過去もAであり、未来もAであるような、一連のAが含まれている円時間なのです。

もし、あなたが次の「今」にBをチョイスすれば、
過去もB,未来もBであるような円時間を選択したことになります。

タイムラインを瞬間ごとの「今」において、選択し続けていくのです。

今まではCだった人が、次の「今」にDを選択するならば、
タイムラインをCからDへと選び変えたことであり、
過去Cは過去Dとなり、未来Cは未来Dとなるのです。

なぜ、そんなことが可能なのでしょう?
 

過去・現在・未来はすべて同時存在するパラレルワールドだからです。
 

過去ABCD・・・も、未来ABCD・・・も、別々に、しかも同時に存在しています。
 

それが泡の全球面に存在しているのです。

あなたが意図をもってフォーカスした次の「今」が物質化し顕現してきます。

フォーカスしない部分は潜在的可能性の海となり、物質化はしないとはいえ、消えてしまったのではありません。

過去は客観的で不動の実体があるのではなく、
私たちが過去を見る時に、「今」から見るとそのように過去が見えるだけなのです。

別の「今」から見れば、別の過去が見えるわけですね。

過去を書き変えるために、タイムマシーンに乗って過去へ行く必要はないのです。

ヒプノセラピーで催眠中に過去へ行くことさえも、必ずしも必要ではないでしょう。

次の「今」で何を選択するのか?

次の「今」をどう生きるのか?

「今」はどこへも行かないで、いつもここにあるわけで、これほど安心で頼りになるものはなく、

たいへん不思議な存在です。

次の「今」に選びなおすことができますから、一回でオシマイということはありません。

でも、一回真剣にやったから大丈夫ということもありません。

毎日、毎時間、毎分、毎秒、新しくチョイスしなければなりません。

まあ、息をし、ごはんを食べるのと同じですよね。

 

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フィジカルタイム



フィジカルタイムには2つの側面があります。


1つは、肉体を持っていることによる学びの時間です。


私たちが今、肉体を持って味わっている一般的な時間です。
このフィジカルタイムは、少しせっかち。

体に痛みがあったり、心に悩みがあったりすると
時間というものがあまりにものろのろとしか進んでいかないことに
しばしば、人間はイライラと腹をたてたり
悲しみに打ちひしがれたりするのです。

また、不安や悩み事があるとそのことばかりが頭を離れなくなってしまって
夜も眠れなくなってしまうというときには、
フィジカルタイムの学びの側面を体験している時でもあります。

そして、これらの学びの側面は
他のソウルタイムやスピリットタイムとより親密になることができるようになると
痛みや悩みや不安という時間にコントロールされる度合いが緩和されるのです。

地球上で生活する私たちにとって肉体は大切な衣です。
フィジカルタイムの学びの側面とはやさしく接してみることが大切です!


フィジカルタイムには、もう1つ別の側面もあります。


もう1つの側面は、肉体を持つことによって体験できる本能的な時間です。

腹時計!

皆様の腹時計は順調に機能していらっしゃるでしょうか?

この時間はとっても本能的な感覚です。

体調がよいとき、心のバランスがとれているときなどには
この本能的な時間もよりいっそう、好調になります。

 

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ソウルタイム


ソウルタイムは魂的な時間です!


私たちは、肉体を持ちながら、同時に魂をも持っています。

普通の生活の中では、どうしても肉体的、物質的な視点に重きが置かれてしまいますが
時には、魂に光を当てて、魂の養分のために時間を使ってみることも大切です。

仕事をいっぱいこなしたのに、疲れが少ない時、
あるいは、とっても暇だったのに充足感の少ない時、
肉体的な疲労度合いのみを測定したならば
前者は消耗度は高く、後者は消耗度は低いはずなのですが
ちょっと不思議ではないでしょうか?

ここにソウルタイムの秘密があります。

魂は、物質的な尺度にはとらわれないのです。

魂にとっての充足感は、
物質的な尺度からは測定が難しいのです!

仕事をいっぱいこなしたとき、もし達成感が高ければ
肉体的な消耗度さえも乗り越えてしまうようなエネルギーが私たちにはあるのです。
これこそがソウルタイム。
このようなとき、魂は光輝いているのです。

もし、命じられた仕事をいやいやするならば、肉体的な疲労の上に心の不満も募るでしょう。
いやいや働くというその態度から発せられるエネルギーが
さらにヴァイブレーションを引き下げます。

反対に気持ちよく前向きに残業に対処したならば
肉体的な消耗をもうわまわるほどの
達成感がみなぎることさえあるのです。

魂は、結果ではなくてプロセスを重要視します。

魂は、あることと向き合うその時に
私たち自身が
どのような心の状態で向き合っていたかによって
充足につながることもあれば、そうでないこともあるのです。

かといって、いつもいつもではもちろん肉体に付加がかかりすぎてしまうので注意が必要です!


ソウルタイムのおもしろさに気づくことができるようになった人は
しばしば、人に役立つことを
進んで行います。
なぜなら、
一見、無駄なようなその時間こそが
その人の魂にとってとっても幸せな時間へと誘ってくれるのを知っているからです。


日常で、時間に追われるときに、
ちょっと立ち止まって

今という貴重な
この瞬間を眺めてみましょう!
 

自分自身の魂と語り合ってみることはとっても重要です!


魂は会話をしたがっています。
魂は愛と慈しみを持ってあなた自身にっしっかりと見つめて欲しがっているのです。


自分自身の魂の声に耳を澄ます時間を意識的に持つように心がけましょう!



自分自身をまるごと受け入れ抱きしめるセルフラブのための内なる時間

コミュニケーションのための外へと放射される時間

内向きと外向きのバランスも感じてみましょう!



あらゆる側面を持った自分自身をしっかりと見つめる時間も大切ならば

時には、光を外側に放射しながら様々なことを分かち合うための時間も大切!


毎日の生活を通じながら、

魂にフォーカスしようと意識的になることによって、

私たちはソウルタイムとより密接に交流し、深く味わうことができるようになるのです。

 

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スピリットタイム



私たちは、肉体を持ちながら、

魂を持ち、実はスピリットの存在でもあるのです。


スピリットは、日本語にするとあまりにも古いイメージなので、ここではあえてスピリットとのみ表現したいと思います。



本当は、もともとスピリットであった存在が、
この地球で人間という肉体をまとい、時間を体験しながら今、ここにいるのです!


スピリットという表現になじみのある皆様もそうでない皆様もあることと思います。

えっ、私は自分自身がスピリットだったなんて、1度も聞いたこともなかったからどうしよ〜!
そのような皆様もそうぞ、ご心配なく!


実は、私たちは、毎晩、毎晩、
寝ているときに、スピリットとして活動をしているのです!
 

これまでの地球では、睡眠とは肉体のための休息に必要な時間とされていましたが
実は、もっともっと需要な時間でもあったのです。


お酒を飲みすぎて寝てしまったときに、妙に疲れがとれない経験をされたことはないですか?
また、しばしば、不眠症の方が安定剤を飲んで寝ると
実際には寝ていても、本人は疲れがとれずに寝ていないように錯覚するという話もあります。
実はこれもスピリットタイムと関係しているのです。

お酒を大量に飲んで眠りにつくと、
また安定剤など医薬品の助けを借りて眠りにつくと
肉体の疲労の回復にはつながっても
重要なスピリットの活動に支障が起こるのです。
それゆえに、本来ならば、寝ている間に高次元へ赴いて
様々な学びや活動をしているはずのスピリットが思うように活動できなくなってしまいます。


私たちは寝ている間、
スピリットは活動モードにあるのです。
良質の睡眠が重要なのは、肉体+スピリットのためでもあるのです。


私たち寝ている間にしばしば、スピリットの意識として、高次元に赴いています!


ここでは、
その日にあったこと、これからのことなど
高次元の存在たちと様々な話し合いがなされるのです。
スピリチュアルな観点からのヒーリングを受けることもあれば、様々な学びをしていることもあります。
また地上でのさらなる活動のために様々な高次元における会議に出席していることさえあるのです。


直観とより親密なるコミュニケーションをとるためには、
良質の睡眠はとっても重要です。


私たちは、このスピリットの活動時間に
多次元世界へも赴いています。





現在の地球では、
高次元の自己であるハイアーセルフと
常時接続しやすくなるようなエネルギー的環境が整いつつあります!


★  ★  ★

これから地球が進化すればするほど、
ますます、スピリットタイムが重要となってきます。

★  ★  ★  ★  ★


もし、頭の中や心の中で解決不能の何かがあったならば
夜、寝る前に、自分自身の高次元の自己であるハイアーセルフに語り掛けましょう。
そして、寝ている間にヒントをもらえるようにリクエストをするのです!

ヒントは夢の中に、あるいは朝起きてすぐにひらめくこともあれば、
何日も経ってから、突然、閃くこともあるのです。



スピリットタイムは私たちの光の輝きの源泉です

 


肉体が最初にあったのではなくて、
スピリットの存在こそが、真の私たちの姿でもあるのです!


 

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《時間を空間のようなものとして考える》

この考えは、セス(Seth)のThe Unknown Reality (Vol.1 p.155)に強く触発されて、
時間についての探求をさらに深めようとしたものです。


まず、セスの説くところを要約しておきます。

セスは言います・・・・

イメージしてください。

自分の先祖たちや子孫たちが他の世紀にいるのを想像します。

それは彼らがどこか他の国に住んでいるような感じなのです。

世界にはいろいろな国々があります。

自分の先祖たちや子孫たちは、それらのいろんな国々に住んでいます。

私の先祖や子孫たちは、ある一つの大きな部族に属しており、
私もその一員なのです。

私たちは皆、旅に出て、さまざまな土地を探検します。

故郷には父母がいます。

私たちは、旅先の珍しい風物や文化について父母に手紙を書きます。

故郷の母国語で探検の成果についていちいち報告します。

これらの探検隊はみな、それぞれ故郷の父母に宛てて手紙を書きます。

故郷では、父母が手紙を読んで、
子供たちがどんな生活をしているのかを理解します。

父母は子供たちの体験に驚いたり、笑ったりで、大いに楽しんでいます。

探検隊のそれぞれは、同時に、各地に派遣されています。
 

時間は過ぎ去っていくものではなく、
流れ去るものでもなく、
過去・現在・未来は、同時に存在しているのです。

一つの国から、もう一つの国に移動できるのと同じように、
時間という土地のあちこちを自由に移動できるのです。

しかしながら、
子供たちは旅先で、それぞれの言葉や文化に馴染むうちに、
故郷の言葉を忘れてしまいます。

時間を自由に旅することができることを忘れてしまいます。

以上が、セスの説く時間についての比喩です。

これをビジュアライゼーションに用いれば、
生き生きとした時間の空間化を味わうことができるでしょう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以下は、私のささやかな白昼夢想です。

セスの比喩では、先祖や子孫が登場していましたが、

あれは決して肉体の遺伝子に関する問題ではなかっただろうと思います。

そうではなく、魂、意識、スピリットという点での家族であったでしょう。

まず、原点として、《大いなる意識としての「私」なるもの》が存在していて、
それが意識を大爆発させて、
ありとあらゆる可能性を満喫せんとして、
自分自身を分割して、
遠くへ、または近くへと飛ばしたのでした。

そういう原初の次元では、
意識は瞬時に思考を実現させることができました。

ありとあらゆるものが同時存在するのです。

時間はありません。

意識は瞬時にあらゆるところへ到達するわけですから、
空間の広がりもまた存在していないともいえるのですが、
それでも、
意識の内面に
そういう空間のようなものが
あるようには感じられていたのではないでしょうか?

ちょうど夢の中で
茫々たる大平原を疾駆したり、
大空を浮遊することも可能であるのと同じです。

そういうわけで、
私は《大いなる「私」なるもの》から分かれ出て来ているので、
自分が何かとほうもなく尊い存在であることが信じられるのです。

この自分は
今はこんなに「小さな私」であるが、
本当はそうではない、と感じられるのです。

今は全く通信できないけれども、
私には故郷もあるし、仲間もいる、という確信があります。

私の仲間たちはそれぞれの国で調査探検に精勤している。

彼らとは今は連絡が取れないけれども、
私は彼らが存在することを知っている。

彼らはこの今この世界に同時存在している。

なぜなら宇宙はすみずみまで瞬時に到ることのできる意識生命体だからだ。

茫々たる広がりと感じられるものは、
実は意識の内部に投影された映像なのだ。

《過去現在未来は同時存在している》

ここで因果律はどうなるか?

通俗的な輪廻転生の考え方は通用しなくなる。

Aという過去世のゆえにBという現在世が生じ、
Cという未来世が生じる。

こういった因果の法則は錯覚であったことになる。

これが痛快だ!!!

 

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