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あまりにも普通なので、疑問を持つことさえないような平凡な感覚に基づく時間です。
現代では時計だけでなく、テレビが積極的に時間を人々に知らせますから、 線時間は、過去から現在を通って、未来へと飛び去っていきます。
過去は膨大な歴史の蓄積として、未来は希望と不安の計画として、現在はそれが何であれ実行中の行動として、 線時間を体験している人は、列車に乗って移動中のように感じます。 過去から未来へスムーズに進入していくわけです。 一秒一秒がタイムマシーンに乗っているかのようでもあります。 今という瞬間はビュンビュンと飛んでいきます。 僕の前に道はない。僕のうしろに道はできる、と歌った詩人もいたっけ。まあ、そんなもんです。 ジェットコースターに乗っているように感じられる人もいるでしょう。 線時間は人間の意識の中にそういう線のようなものが感じられるのであって、実在するかどうかはわかりません。 この時間の利点は、時計という客観的な物差しで製造されるので、人々はそれを共有することができるということです。 だから学校で子供たちに躾として学習させたいことは、この線時間の意識なのです。 集団生活、社会生活が首尾よく運営されるためには、人々みんなに共通の時間意識がなければなりませんからね。
この時間の困った点は、「現在」が非常にあわただしく飛び去っていくばかりで、 こういう時間は社会的な価値が強調されすぎていて、個人的な時間の味わいが乏しいのです。 労働時間の計算をすることができるのも、線時間は時計で正確に計測できるからですね。 だから時間は貨幣に換算できることになり、私たちは計画的に毎日時間を売ってその代価として貨幣をもらうわけです。 線時間だけしかない人生は、なんだか満足しきれないものがあります。 そこで私たちは線時間だけでない、もっと自然な人間的な時間を発見したくなります。
(c) 2004.02.01 by Wakmak
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イメージで大きな円を自分の周囲に描いてください。 大地の上に、木の枝であれこれといろんな線を描いた子供の頃を思い出してください。 円の中に座って正面をじっと見ます。 真正面が「今」という時です。 面白いのは、どこを向いても正面が「今」だということです。 正面の左右の広がりの部分が過去と未来です。 時間の流れを円の右回りと感じるか、左回りと感じるかはその人次第です。 ここで大切なのは、意識をどこにフォーカスするかです。 「今」なのか、「過去」なのか、「未来」なのか? 意識はそれらのどれにもフォーカスできますが、真正面はいつも「今」です。 どこを向いてもいつも「今」 「今」以外は脳の中にあります。 現実は「今」あるのみ。 この円時間では、時間は流れません。飛んで行きません。 いつも静かに輝いています。 何か好きなことに没頭している時、時間が止まっているかのように感じるものです。 瞑想していて、50分が5分ほどに感じられたことはありませんか? 一連の集中を要する仕事に打ち込んでいた時などは、
悲しいこと、つらいこと、苦しいことを通り抜けなければならない時など、 数学の問題が解けそうでいて、解けない時、 幸せな、楽しいうれしい一時も、時間の感覚がちがって感じられます。 きわめて主観的な時間の味わいがあります。 ここにこそ人生の宝石のような輝きがあります。 これなくして何の人生でしょう! 円時間は、幸せタイムの秘密です。
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●補足● メビウス時間なお円時間の変形として、「メビウス時間」があります。
歩いても、歩いても、歩く人の場所は変わらず、 今、ベルトの代わりに、リボン、
このリボンの体験はあくまで比喩的表現です。 現在の時間の体験は、過去の体験を含んでいる。 しかも何回も何回も繰り返された過去のさまざまな体験が重層的に含まれている。 「今」の中に、無限回の「過去」が包含されている。 これは深遠で神秘的な時間体験です。 これは単純な円環的繰り返し以上の体験です。 メビウス的円環では、現在と過去は交互に交代しながら、 これは単なる比喩でしょうか?
なにかしら、心の奥深いところから、
そこで、きわめて重要なことがあります。、 現在の行動が、過去の行動の結果を変えるのです。 これほどワクワクするような世界観はないでしょう。
時間の神秘は限りなく深くどれほど探求しても飽きることはありません。 |
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透明な泡(あぶく)の中で、まわりの半透明な膜を通じて、 真正面に「今」があります。 360度の全周囲の、どちらを向いても、向いた真正面が「今」です。 東西南北、上下、左右、ななめ前も後ろも、すべての方角を向いて、真正面が「今」なのです。
もしAという次の「今」をチョイスすれば、あなたはAというタイムラインを選んだのです。
そのタイムラインAとは、
もし、あなたが次の「今」にBをチョイスすれば、 タイムラインを瞬間ごとの「今」において、選択し続けていくのです。 今まではCだった人が、次の「今」にDを選択するならば、 なぜ、そんなことが可能なのでしょう?
過去・現在・未来はすべて同時存在するパラレルワールドだからです。
過去ABCD・・・も、未来ABCD・・・も、別々に、しかも同時に存在しています。 それが泡の全球面に存在しているのです。 あなたが意図をもってフォーカスした次の「今」が物質化し顕現してきます。 フォーカスしない部分は潜在的可能性の海となり、物質化はしないとはいえ、消えてしまったのではありません。 過去は客観的で不動の実体があるのではなく、 別の「今」から見れば、別の過去が見えるわけですね。 過去を書き変えるために、タイムマシーンに乗って過去へ行く必要はないのです。 ヒプノセラピーで催眠中に過去へ行くことさえも、必ずしも必要ではないでしょう。 次の「今」で何を選択するのか? 次の「今」をどう生きるのか? 「今」はどこへも行かないで、いつもここにあるわけで、これほど安心で頼りになるものはなく、 たいへん不思議な存在です。 次の「今」に選びなおすことができますから、一回でオシマイということはありません。 でも、一回真剣にやったから大丈夫ということもありません。 毎日、毎時間、毎分、毎秒、新しくチョイスしなければなりません。 まあ、息をし、ごはんを食べるのと同じですよね。
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Miy
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ここにソウルタイムの秘密があります。 自分自身の魂と語り合ってみることはとっても重要です!
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これまでの地球では、睡眠とは肉体のための休息に必要な時間とされていましたが
これから地球が進化すればするほど、 ヒントは夢の中に、あるいは朝起きてすぐにひらめくこともあれば、
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この考えは、セス(Seth)の「The Unknown Reality」 (Vol.1 p.155)に強く触発されて、
セスは言います・・・・ イメージしてください。 自分の先祖たちや子孫たちが他の世紀にいるのを想像します。 それは彼らがどこか他の国に住んでいるような感じなのです。 世界にはいろいろな国々があります。 自分の先祖たちや子孫たちは、それらのいろんな国々に住んでいます。 私の先祖や子孫たちは、ある一つの大きな部族に属しており、 私たちは皆、旅に出て、さまざまな土地を探検します。 故郷には父母がいます。 私たちは、旅先の珍しい風物や文化について父母に手紙を書きます。 故郷の母国語で探検の成果についていちいち報告します。 これらの探検隊はみな、それぞれ故郷の父母に宛てて手紙を書きます。 故郷では、父母が手紙を読んで、 父母は子供たちの体験に驚いたり、笑ったりで、大いに楽しんでいます。 探検隊のそれぞれは、同時に、各地に派遣されています。 時間は過ぎ去っていくものではなく、 一つの国から、もう一つの国に移動できるのと同じように、 しかしながら、 時間を自由に旅することができることを忘れてしまいます。 以上が、セスの説く時間についての比喩です。 これをビジュアライゼーションに用いれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 以下は、私のささやかな白昼夢想です。 セスの比喩では、先祖や子孫が登場していましたが、 あれは決して肉体の遺伝子に関する問題ではなかっただろうと思います。 そうではなく、魂、意識、スピリットという点での家族であったでしょう。 まず、原点として、《大いなる意識としての「私」なるもの》が存在していて、 そういう原初の次元では、 ありとあらゆるものが同時存在するのです。 時間はありません。
意識は瞬時にあらゆるところへ到達するわけですから、 ちょうど夢の中で そういうわけで、 この自分は 今は全く通信できないけれども、 私の仲間たちはそれぞれの国で調査探検に精勤している。
彼らとは今は連絡が取れないけれども、 彼らはこの今この世界に同時存在している。 なぜなら宇宙はすみずみまで瞬時に到ることのできる意識生命体だからだ。 茫々たる広がりと感じられるものは、 《過去現在未来は同時存在している》 ここで因果律はどうなるか? 通俗的な輪廻転生の考え方は通用しなくなる。
Aという過去世のゆえにBという現在世が生じ、 こういった因果の法則は錯覚であったことになる。 これが痛快だ!!!
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